ト ラ ン セ ン ド ・ ブ ル ー  ×  ナ イ ト ラ ン ド

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 広大な草原地帯に時より吹く柔らかな風が、草葉を愛でるように優しく撫でて行く。
 その風にふわりと揺れ動くのは、クエルノの一帳羅にして、唯一普段から身に着けている外套である。
 所々に施された細かい黄金色の刺繍が、このマントが高価な品である事を物語っていた。
 しかしこの外套、人間の成人向けに丈が合わせてあるのだろう、クエルノが着用するにはサイズが余りにも大き過ぎた。
 マントの裾は無残にも引きづられボロボロな状態であり、今にも丈の長さの半分程が千切れて何処かへ飛んで行ってしまいそうな有様であった。

 そてにしてもクエルノという謎の生物の存在自体もそうだが、やはり実に不可思議な光景であるのは七色の巨長の角である。
 クエルノの羽織るマントにも汚い字で大きく書かれた〈 角 命 〉という文字。
 自身のこの角に対して、クエルノは何か特別な拘りでも持っているのかもしれない。
 とにかく、この常軌を逸していると言わざる負えない巨長の角を頭上に携えたクエルノではあるが、自らの角の重さを一体どう感じているのだろうか? それとも角の重さに気付いていないのだろうか?
 一目で分る程に圧倒的な質量からしてみても、クエルノ自身に加わる重量は相当なはずなのだが、当のクエルノは朗らかな鼻歌で本日のナイトランドの空模様と張り合っている。

「こん、こん、こんにょヤローのジーニアちゃーん! こん、こん、こんちくショーのジーニアちゃーん! こん、こん・・・」

 この鼻歌にジーニアは何を思うだろう・・・ おそらく聞き慣れた鼻歌に何も思わないに違いない。
 当の鼻歌の作詞・作曲者であるクエルノはと言えば、何が入っているのかは分らないが、左手には自身の体ほどパンパンに膨れた茶色い麻袋をぶら下げて持っていた。
 そして、虹色の巨塔のような角を誇らしげに、白い寸胴の上部にあるキラキラとさせた大きな2つの目と、一つの口で鼻歌交じりに得意顔を作りながら、ジーニアに向かって真っ直ぐに歩いて来るのである。

 天を貫かんとする勢いでそびえる角を頭に、上機嫌なクエルノはジーニアの目前まで来ると、歩きながら右手を軽く上げてジーニアに馴れ馴れしく声を掛けるのであった。

「やっほー、久しぶりだなっ! ジーニアちゃん!」
「・・・・・・」

 どうした事だろうか? 元気一杯なクエルノの挨拶にも、何の意図があるのだろうかジーニアは押し黙るようにして、一切の言葉も返す事はなかった。
 そして、歩みを止めない2人は、ただただすれ違って行くのである・・・

 すれ違い様、ジーニアは済ました顔でやり過ごしていたのだが、其の実、表情は笑って噴出してしまうのを必死に堪えていた。
 ジーニアが笑いを堪える原因、それは、クエルノの可愛らしいお尻に、鋭利な角を2本生やした何やら黒くてドクドクしい異形の生物が、まさに鬼の形相で懸命に噛り付いている事であった。
 そしてその事に、噛られているクエルノ自身がまるで気付いていない事であった。

 そんな鈍感なクエルノとジーニアの2人の距離が、歩いてすれ違ってから1メートル、2メートルと次第に開いて行く。
 しかし、お互いに背中を向き合わせながら開いて行く距離であったが、数メートルの所で立ち止まったクエルノは、ジーニアに無視された事が頭に来たのか、額に大きな青筋を立てると、自らの頭上にそびえる角を重そうに、くるりと180度向きを変えて小走りで駆け出し、背中を向けるジーニアを抜き去って行く。
 そしてクエルノは、ジーニアから10メートル程離れた地点でくるりと180度向きを変えると、歩いて来るジーニアに向かって再び右手を挙げ意気揚々に歩き出すのであった。

「おーい! ジーーニーアちゃーん!!」

 本日2度目となるクエルノの元気の良い挨拶にも、やはりジーニアはまったくの無表情で、笑いを堪えながらも反応を示さない。
 こうして2人はまた、ただただ虚しくすれ違う。
 すると再びクエルノは1度目と同様に、数メートルの所で立ち止まりくるりと180度向きを変えると、小走りにジーニアを追い抜き・・・ と、言う具合に、すれ違ってはまた戻り、すれ違ってはまた戻りと、クエルノが健気に4、5回は繰り返した頃だろうか。
 クエルノはジーニアの3メートル前方で立ち止まると、ジーニアの顔を見上げて、幾つもの青筋を立てた不満の表情を一杯に睨み付けるのである。

 ジーニアはクエルノを見下ろし、クエルノはジーニアを見上げている。
 目を合わせ立ち尽くす両雄の間に、風の音と巨木で戯れる小鳥達の囀り、そして、忘れてはならない駆けるサッチャンが響かせる鎧の擦れる音を残して、しばしの静寂の時が訪れる・・・
 
 そんな穏やかな静寂の空間に、帝都での祭りの為に打ち上げられている昼花火の音が軽快に鳴り響いた。
 まるでそれが合図であったかのように、静寂の時を打ち破り怒鳴り声を上げたのは、もちろんクエルノである。

「っおい! なーに、何度もシカトぶっこいてやがんだぁ! こんちくショーのジーニアちゃん! いい加減にしろよぉ!」

 クエルノが大きな口から大量の唾を派手に飛ばし散らしながら、小さな猛獣さながらに吼えまくる。

「了見次第によっちゃあ、ブッ殺すぞぉ!! えー、こんにょヤローのジーニアちゃんよぉ!!」

 ワナワナと震えながら自らの胸の前で握り拳を作るクエルノが、ジーニアに向かって激しく食って掛かるのであった。
 しかし、怒れるクエルノとは対照的に、ジーニアは全身をクエルノの口から飛んで来る唾に塗れながらも、その表情は至って愉快そうにニヤついている。
 そして、ジーニアの口からは、いつもの悪ふざけだと白状されるのである。

「いやさぁ、何回ぐらいで怒り出すかなぁー!? って、ちょっとおちょくって遊んでただけだけど?」
「おちょ、おちょくってって! こんにょヤロー!!」

 ジーニアのふざけた言葉に、クエルノの怒りが頂点に達したかと思われたのだが、何やらクエルノはきょとんとした様子でジーニアに聞き返すのであった。

「・・・っん? おちょくってたのか!?」
「そう」と言う、ジーニアのたった2文字の返答。

 その呆気ない返答を聞いたクエルノの表情が、瞬く間に穏やかなものになって行く。

「なぁ~んだ、そっか! じゃ、別にいいや!」

 何とジーニアの悪ふざけに、クエルノは怒りも忘れあっさりと納得してしまうのであった。
 まったく、全ての事象を無に返してしまうかのようなクエルノの反応である。
 この場に誰か第三者がいたのなら、さぞや信じられない状況を目の当たりにした事であろう。
 何故に、こうもアッサリと許せてしまうのか? ツッコミ所が余りにも満載であり、最早、何をツッコムべきなのか皆目検討も付かない状況である。
 世界中の誰もがクエルノのように単純だったのなら、きっと世界に戦争などという愚かな行いは存在しないのかもしれない。
 かと言って、誰もがクエルノのようなら、それはそれで別の愚かな世界が待っているだろうが・・・

 ジーニアの返答に大変満足したのか、お気楽な屈託の無い表情を見せるクエルノに、重大であり今そこにある危機的な状況をジーニアが指摘してやる。

「ところでクエルノ、お前、尻を魔鬼マオニに噛られてるぞ」
「・・・っえ!?」

 衝撃の事実に、一瞬、呆気に取られてしまうクエルノ。
 クエルノの可愛らしいお尻に噛り付いていたのは、鋭利な角を2本生やした何やら黒くてドクドクしい異形の生物、魔鬼だったのである。
 鬼の形相をした頭部に手足が生えた姿であり、魔鬼の中では随分と小さなサイズの個体のようである。
 その魔鬼が自身のお尻に噛み付いている事実に、今の今まで気付いていなかったクエルノが絶叫するのであった。

「ブぎゃおぁーー!! 何だ、こんにょヤロー!」

 喚きながら慌てふためくクエルノは、ジーニアから離れるようにして帝都側へと、パニックに成りながら駆け出して行く。
 しかし、混乱しながら駆けるには頭上そびえる虹色に輝く巨長の角は、やはり余りにもバランスが悪過ぎるのであった。
 案の定、すぐに自らの角の重さに耐え兼ねて、短い足を絡ませよろけてしまうクエルノなのだが、本当の悲劇は、ここから始まるのである。

 バランスを崩し、よろけて転倒するクエルノであったが、すぐに大地に倒れたわけでなく、巨塔のような角が激しく空気抵抗を受けている為に、ゆっくりとスローモーションで倒れて行くのであった。
 少し離れた位置に立つジーニアは、そんなクエルノの状況をニヤニヤと笑いながら眺めていたが、次第にその表情から笑みが薄れて行くと大変な事に気付くのである。

「・・・っあ!? これ、ヤバイかもな!?」

 天高くそびえていたクエルノの角が、ジーニア目掛けてゆっくりと、そして次第に速度を増して倒れて来るではないか!

「おい、おい、おい! 冗談だろぉ!?」

 この時、動揺を見せるジーニアではあったが、それは、自らの身を案じての動揺などではなかった。
 では何故、自身の事を微塵も心配していないジーニアが動揺をしたのか?
 ジーニアに向かって巨塔の角が倒れるのであれば、それは、ジーニアの後方へも自ずと危険が及ぶという事である。
 すぐにそれを察したジーニアは慌てて後ろに振り返ると、鎧姿で勇ましく駆けて来るサッチャン・マグガバイに向かって大声を上げるのであった。

「おーい、サッチャーーーン! 倒れるぞぉーーー!!」

 ジーニアは上だ!上だ!と身振り手振りで、何とかサッチャンへと危険を知らせようとしていた。

「・・・・・!?」ジーニアを追い猛然と駆けていたサッチャンは、珍しく慌てているジーニアの姿を捉え声に気付くと、駆けながらにして顔を軽く上に向けて見るのである。

「・・・うわぁ、ワッ!? う、嘘でしょーーー!!」

 突如として自身がまったく予想だにしない状況下に置かれている事に、サッチャンは大きく驚嘆の声を上げるのであった。
 人は、突然の出来事に対して、咄嗟に動けるものではない。
 ましてや、巨神が振りかざす大剣のような巨長の角は、天上から凄まじい速度でサッチャンへと振り下ろされているのだ。

 激しい空気抵抗によって生じている音なのか、大気を震わせ地鳴りを響かせながら、3つ太陽の光を受けて虹色に彩るクエルノの巨長の角が、仰天するサッチャンの眼前へと勢い良く迫っていた。
 そして、重力の衣を纏い加速する眩い流星のように倒れる角は、サッチャンの視覚を容赦なく眩ませるという、まさに絶体絶命の危機である。

 もはや到底、サッチャン自らが自力で回避する事など、不可能な状態であるのであった・・・






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