覇 者 虹 霓

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 何か物悲しく弱々しい湿った風が、スラム街の外に広がる木原地帯を吹き抜けて行く。
 枝や木の実の擦れる乾いた音が、物悲しさをより一層助長させているのであった。
 ナイトランドにおいても大規模に分類されるこのスラム街の上空には、真っ青な空をキャンパス代わりに縦縞模様に立ち昇る黒煙と白煙が、まるで弔いの黒白幕のように厳かに揺らいでいた。
 建物をはじめとする様々な材質で作られた物が燃えた臭いと、人間のたんぱく質や脂質が燃えた臭いが混じり合う事で、スラム街は悪臭を生成している。
 この薄気味悪い悪臭は、発生源であるスラム街から風下へと、不規則な動きで漂っていた。
 ウェザーの騎士を背にした8機の馬機は、随分と前から異臭に気付いてフレーメン反応を起こしている。
 馬機はフェロモンの分析だけでなく、臭いから危険を察知した時にもフレーメン反応を起こすのであった。

 そのような悪臭が騎士達にも充分に届く所まで、スラム街へと距離を縮めていた。
 悪臭など騎士達にとって、幾度も赴いた戦場では当たり前の匂いであり、とっくに慣れて無関心になっているのだろう、匂いの漂う中を馬機に揺られながら平然としているのであった。

 ただ1人エドゥワードはと言えば、無駄足を踏まされ自らにとってまるで無益となってしまった此度の任務。
 やり場の無いモヤモヤした感情を、左隣の馬上で寛ぐ元凶にぶつけていた。
 馬機の背で上半身を仰向けに寝転がるグロリアスの脇腹を、エドゥワードが鞘に納まった自身の剣で、ゴスゴスと鈍い音を出して強く小突くのである。

「よせよ、エドゥワード。くすぐってぇーぞ!」

 どうした事か小突かれるグロリアスは、痛がるどころかケタケタと笑い出すのであった。
 エドゥワードはグロリアスの脇腹を剣の鞘で撫でているのではない。
 アバラの骨の1本や2本が折れてしまう程の強度で小突いているのである。
 このグロリアスの反応に驚く騎士は、この混成部隊の中には誰もいなかった。
 同じく1ミリたりとも驚いた様子を見せないエドゥワードは、グロリアスに向かってただ悪態をつくのである。

「・・・っふん、この化け物め」
「天下の皇太子殿下が、ひでぇ事を言いやがる」

 そう言い返すグロリアスの言葉で、この場に微妙な空気が流れるのかと思いきや、

『っぷ!? はっははは!!』

 エドゥワードとグロリアスの2人は、意味も無く揃って笑い出すのであった。

 このようにグロリアスとエドゥワードが戯れる姿は、今この場に居合わせる騎士達にとっては馴染みの光景である。
 しかし、気難しい事で知られるエドゥワードが、こんなにも愉快に談笑している様を目撃した事がある者など、ナイトランドでも数える程しかいないのであった。
 そんな数える程しかいない内の3人が、隊列の最後尾を行く3人の蒼天の騎士である。

 エドゥワードは光陰の騎士隊隊長の役職に就いてはいるが、何かしらの任務に赴く際には、決まって数名の馴染みの騎士とでしか行動を共にする事は無かった。
 馬機の隊列、エドゥワードのすぐ後ろに控え、隊列の3列目を行く光陰の騎士こそが、その数名の内の2人である。
 ウェザー騎士団は組織体系やその活動形態が特殊であり、各騎士隊に属する3個部隊の各部隊で任務に当たる事が常である。
 その際においての現場での実質的な指揮官は各部隊長という事になる。
 その為に、騎士隊隊長であり騎士隊三頭であるエドゥワードと任務を共にする者というのは、極僅かなのであった。
 もちろん、例えばデッドライドのように、自らが騎士隊や各部隊の陣頭指揮に当たる騎士隊三頭も当然存在している。

 隊列最後尾の3人は蒼天の騎士ではあるが、蒼天の騎士隊筆頭であるグロリアスによく連れられては任務の派遣先で、騎士隊が異なるはずのエドゥワードと顔を合わせる機会が多くあった。
 言ってみれば、今回の任務のような状況がまさにそうであり、エドゥワードにとっても3人は馴染みの顔である。

 3人は随分と若い騎士であり、人によってはまだ子供じゃないかと言われるのかもしれない。
 しかし、ここナイトランドにおいて、子供が騎士隊に所属している事など何の不思議でもなく、ましてや世間から非難される事もなかった。
 そんな3人の若き蒼天の騎士で、馬機に揺られる両端の2人の騎士は、年の頃が10代半ばぐらいと言った感じの少年騎士である。
 右端の少年騎士クレアラ・バルドニーアは、体の線はまだまだ細く、おっとりとした幼さが残る柔らかで朗らかな表情からは、血生臭い戦場など似合わず虫も殺せないのではないかという雰囲気を放っている。
 そして、左端の少年騎士ハインド・ハイフナイファンは、クレアラとは対照的で少年にしては随分とがっしりとした体格であり、表情には如何にも生意気でやんちゃそうな雰囲気がある。
 そのハインドが嘆くようにして、隊列の最後尾から声を上げるのであった。

「グロリアス師匠とエドゥワード殿下のお2人と、共にする任務がこれで終わりだなんて・・・ 俺は、心の底から残念だと思っていますよ!」

 ハインドはグロリアスの事を師匠と呼び慕っているのだが、実際に2人の間に師弟関係などはない。
 しかし、技術は見て盗めを地で行くように、訓練時はもちろんの事、グロリアスが任務に当たる際には率先して付き従っていた。
 そんな何気に部下に慕われているグロリアスであるが、ふいにひょいっと起き上がると、背筋を伸ばし改まったような調子で2人の少年騎士へと声を掛ける。

「ハインド、クレアラ。2人とも今日まで良くやったな! 叢雲むらくもはうちと違って厳しいだろうが、まぁ、頑張れよ!」
「へっへーー! 師匠、そんなの余裕ですよ! なっ、クレアラ!」
「どうかなぁ・・・」

 調子に乗るハインドとは違い、クレアラは不安で一杯のようだ。

 蒼天の騎士隊に次いで、ほぼ同時期に創設されたのが、叢雲の騎士隊である。
 叢雲の騎士隊は他の3個騎士隊に比べて、少数ないしは単独で任務に当たる頻度が高く、その特殊性から個々の能力が高い騎士が多く在籍している。
 ハインドやクレアラの若さで、そんな騎士隊への転属ともなれば、2人が如何に優秀な騎士であるのかが分かるであろう。

 そんな優秀な2人だからであろうか、役職付きでもない少年騎士に対して、エドゥワードにしては珍しく言葉を掛けるのである。

「お前達の若さで叢雲への転属など、大したものだ。あそこの騎士隊隊長はスタイシュナー殿だったか、存分にシゴかれて来い」
『ハイッ!!』

 光陰の騎士隊隊長である皇太子エドゥワードの激励に、ハインドとクレアラは揃って威勢よく返事をした。

「生きてまたグロリアスに顔でも見せてやってくれ。こいつはこれでも、なかなかの寂しがり屋だ」
 そんなエドゥワードの言葉に、グロリアスは「ふっ」っと軽く鼻で笑うのである。

 自分の部下の門出はやはり嬉しいものなのだろう、グロリアスはエドゥワードの声を耳にしながら、再び馬機の背で仰向けに寝転がると、ニヤニヤと笑みを浮かべては目を細め、このナイトランドの蒼天に思いを巡らせるのであった。






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